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 『 世 界 が 展 示 室 』
 「サル山」
 以前僕は自分のことを「有事向きだ」と書いたが、はるか昔、中学校の授業でこんなことがあった。
 国語の教科書に、夏目漱石やらの文学作品とともに、出典は忘れたが、サル山の話があった。人間に捕らわれた何頭ものサルが海の島に隔離され、そのうちの数頭が自由の束縛に耐え切れなくなって、そこを脱出するという話だった。記憶がおぼろげなので自信がないが、おおかたそんな内容だったと思う。
 その日の授業で先生は、僕たちにこれを読ませたあと、こう提案した。
「君たちなら、果敢に脱出するほうか、おとなしく島に残るか、どっちを選ぶ? ふたてに分かれてごらん」
 いつもの授業と違って刺激的だったので、みんなわあわあ言いながら、脱出派と残留派を行ったり来たりした。
 僕はといえば、もうおわかりだろう、迷わず脱出派だった。最終的に落ち着いたとき、クラス40人ほどのうち、脱出派は10人もいなかったように思う。
 そこから、先生の見守るなか、両者の議論が始まった。
「そりゃそうだよ。だってこんなとこにいたら自由もなんもない。つまらんよ」
「でも、海を泳いでくんだよ? たとえ岸まで行けても、また捕まったらどうするの? 住む場所もあるし、食べ物も与えてくれるし、ここでゆっくり暮らすほうがずっといい」
 たしかこんな議論が繰り広げられたんだと思う。教室を見渡すと、残留派には、クラスで1、2を争う秀才の女の子がいたりして、僕は
「ああ、あの子は安全を選ぶんだな」
 と意外に思ったりした。頭のいい奴は野心的で、なんとか逃げのびる方法を考えつく、と思ったからだ。脱出派には、おとなしい奴とか、ちょっとしたワルとか、いわゆるハズレ者が多かった。詰襟の学生服に身を包んだ僕は
「そうか。人間というのは自由に背をむけ、事なかれを生きる動物なのか」
 なんて思ったり、しなかった。そこまで思索少年ではなかったので。


「旅の目的は?」
 このことにまだ触れていなかった。
 カンパニー結成以来この10年、僕は幸いにも踊るだけでなく多く作品をつくる機会に恵まれ、いろんなことをやってきた。しかもやりたいことしかやってこなかった。こんな幸せはないだろう。
 でもここ数年、マンネリ化してきた。アイデアも枯渇してきた。作っても、前にやったものの焼き直しだったりで、徐々に作る喜びが感じられなくなった。新鮮味がなくなったのだ。 
 どうしようかと考えて、長期休暇を取ってリフレッシュすることにした。どこか山奥にこもるとか、海外へ研修に行くとか、いろいろ方法はある。とくに芸術関係の場合、在外研修員といって国の金で数カ月〜1年ほどの海外研修をするプログラムが文化庁にある。
 でもそんなものに興味はわかない。ヨーロッパやアメリカでスタジオに通ってダンス修行をする。活用している人には申し訳ないが、あれは極端にいえば出来合いのメニューだからだ。
 そこで、学生時代に「いつか世界一周旅行をしてみたい」と夢見ていたことを思い出した。思いがけないことだったが、うってつけだった。チャンスは巡ってくるものだ。なにせ小学生の時の将来の夢が、外交官になって世界中を飛び回ることだったから。
 自分なりに旅のコンセプトをつくった。
 いままで行ったことのないところへ。スーツケースは持たずバックパック。列車、バス、船を中心にできるだけ飛行機は使わず。でもあまり無理はしない。危険な地域や寒そうな場所、そして大きな海は飛行機を使う。一応ルートは決めるが、宿や交通手段はそのつど選んで決める。ホテルは一つ星〜二つ星。節約しつつ、たまには贅沢もする。期間は半年前後。じつは僕、外国が嫌いなのだ。だから一年は長すぎるし、かといって2〜3ヶ月じゃ短い。でもこればかりはやってみなければわからなかった。
 そしてまるでこの計画を見透かしていたかのようにセゾン文化財団で「サバティカル助成」というのが始まり、事務所を通じて申請したら通った。旅の資金はその助成金と、不足分をカンパニーと僕個人で負担してまかなった。
 韓国へは行っているので、最初は北京にした。成田〜北京、タシケント〜バクーのフライトチケットと、北京の一泊目だけは東京の旅行会社を通じて予約した。日本で取っておいたビザは、中国、ウズベキスタン、カザフスタン(実際カザフは行けなかった。キルギスは現時点でビザ不要)。
 こんな準備をして、出発したのだ。


「次は?」
 世界一周は、とてつもなく大きな展覧会に行くようなものだ。展示室、というのはそういう意味を込めている。同時にそれは、自分の過去を見つめ、未来を見据える順路でもあった。
 この日記をすべて読んだかたはお分かりだと思うが、この6カ月で僕が見てきたものは、世界というよりも自分自身の姿だった。出発前はそんなこと予想もせず、ただ「世界」(といってもちろんすべてではないが)を見て回るつもりでいた。でも実際に半年間僕がしてきたことは、世界という鏡に自分自身の姿を映すという、なんともぜいたくな行為だった。
 
 そこで見た自分をいくつかあげてみる。

 人はいつも、何かを乗り越えて次に進む。チャンスであれ試練であれ壁であれ、それを乗り越えて、次のステップに立つ。越える対象は、時に人間そのものだったりする。いや、ほとんどそうだろう。現に僕自身がそうだった。
 僕は常に人を踏み台にしてきた。僕の足の裏には、いつも誰かの顔があって、踏み付けられたそれはグシャグシャで、目と鼻の見境もないくらい、凄惨な顔だった。僕はそれを振り返りもせず、前だけ見た。間違って目に入っても、見て見ぬふりをした。旅のあいだ中、いつもそういう自分を思い出していた。
 僕が前に進んだだけ、誰かが後ろに下がるのだ。

 僕は踊り以外のことをほとんど何も知らないことに気づいた。結婚もせず子供もおらず、ただやりたいことしかやらず。齢より若く見られるのは、世の中の辛苦を知らずに生きてきたせいだ。料理も確定申告も政治論争もブラインドの設置も、踊り以外のことは何もできない。
 ダンスの世界は狭い。本当に狭い。限られた人、地域、観念の中でしか動いていない。もちろんこれはダンスに限った話ではないだろうが。でもやはり、自分は今まで小さな小さな枠の中にいたのだ、ということを思い知らされた半年だった。

 さて、アーティストとはなんだろうか?
  今回の旅に出る時、回りから大いに今後を期待されていることを思い知った。そんなアーティストとはいったい何者だろうか? 普通ならできないことを、自分の感性・知性・才能を総動員して体現する存在か? いや、なんだか違うような気がする。
 実際僕は、ダンサー、アーティストであるというだけで、世の中の辛苦を避けて通ってきた、いや通らせてもらってきたように思う。おまけに裕福な家庭に生まれ、今も経済的には何不自由ない生活を送っているから、余計にそう感じるのかもしれない。
 少年時代、僕は右目のケガを理由に、プールの授業はいつも見学させてもらっていた。でも実際は、単に水が怖くて嫌いで、目のケガを、それを免れるための道具にしていたのだ。
 先生や友人たちは、「おおそうか、それなら仕方ない」と、いとも簡単に許してくれた。顔に刻まれたこの傷は、困難を避けるための武器であり、免罪符でもあった。魔法使いの杖のように。
 それは今でも変わらない。これは強力な武器として、僕をアーティストたらしめている。
 同時に困難や苦労からも免れている。アーティストだから、ダンサーだから仕方ないと、許されている。そういう自分をずるいと思う。
 所詮それだけの者でしかないのだ。
 失うことは得ることであり、その逆も然り。とすれば、死ぬときの自分は、生まれたときの自分と等分なのだろうか?
 人間は生まれた瞬間からもう、死に向かっていく。死ぬために生きるのだ。必死に生きれば、必ずちゃんと死ねる。
 表裏一体のカラクリは、これからもずっと付きまとうのだろう。

 難しい話はともかく、旅行を終えての感想はただもう「疲れた」である。もう二度とやりたくない。でも、ものすごい体験をしてきたことだけは確かだ。

 その一方で、わりとあっけなかったという思いもある。半年は、長いようで短い。いろんな場所で「半年で世界一周はずいぶん速いですね」といわれた。バックパッカー界では2〜3年の世界放浪は当たり前だそうだ。今回行けなかった国は、次回にまわそうかな。


「旅のデータ」
総日数    193日
訪れた国の数   18ヶ国
足を運んだ街の数 52ヶ所(うち宿泊した所40ヶ所)
 泊まったホテルの数   58ヶ所
バスに乗った回数  20回(うち夜行8回)
列車に乗った回数  19回(うち夜行15回)
飛行機に乗った回数 10回(うち夜行2回)
船に乗った回数    4回
(宿から宿の移動に限る。観光で使ったものは除外)
最も物価の安かった国 アルメニア
最も物価の高かった国 アメリカ 
(交通手段やホテルのランク・宿泊日数などが国によってまちまちなので、純粋に客観的なデータにもとづいてはいない)


足を運んだ街は・・・
北京、上海、桂林、昆明、麗江、シャングリラ、西安、敦煌、ウルムチ、カシュガル、オシュ、ビシュケク、タシケント、ブハラ、バクー、トビリシ、テラヴィ、エレヴァン、トラブゾン、サムソン、メルスィン、タシュジュ、レフコーシャ、セルチュク、エフェス、イスタンブール、ローマ、ポンペイ、アッシジ、ボルセーナ、ニース、アルル、リスボン、グラナダ、アルヘシラス、タンジェ、マラケシュ、ワルサザード、ティネリール、メルズーガ、フェズ、サンチャゴ、カラマ、ウユニ、ラ・パス、クスコ、マチュピチュ、リマ、メキシコ・シティ、ティファナ、ロサンゼルス、サンフランシスコ

 この旅は、次の皆さんのおかげで実現できました。
 出発までの準備や途中のサポートをしてくれたハイウッドの高樹さん、伊豆さん、神村さん、友池さん、遠田さん、多田さん、出発前や旅の途中でいろいろアドバイスをいただいた「風の旅行社」の寺山さん、川崎さん、資金の一部を助成してくださったセゾン文化財団、いない間の自宅のケアをしてくれた貞太君、なにかと力になってくれた両親、そして何よりも、行く先々でお世話になった「世界」の人々、みなさんのお陰で意義深い旅になりました。ありがとうございました。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月22日(土)
 午後、成田着。思ったほど暖かくない。肌寒いほど。外国から帰るとたいてい、ここアジアのもわっとした湿気に生暖かさを感じるのだが、そういう季節ではないのかも。
 半年ぶりの日本。自宅に辿りつくと、懐かしい生活がそこにあった。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:47 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月21日(金)
 サンフランシスコ国際空港。フライトは13:43。チェックインを済ませゲートに向かうと、ゲートの前にATMのような機械がある。これにパスポートを読み取らせ、指紋と顔の確認をするのである。つまり仏頂面の審査官のいる出国審査はもうないのだ。そこにいる係員に聞くと、去年から導入されたそうだ。パスポートにスタンプがバコン!と押されることはなくなったのだ。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月20日(木)
 ここサンフランシスコがこの旅で最も大きな都会となった。ホテルもレストランも交通機関もこれまでで一番高い。そういう街で旅を終えるというのもなんだか象徴的である。
 街を走る車を観察すると、やはりこれもちゃんとした車ばかりである。ちゃんとした、というのは、洗車が行き届いているとかフロントガラスにヒビが入っていないとか。これまではそうじゃない車ばかりだった。
 ブランドをみると3〜4割が日本車。そしてその約半分がTOYOTAである。儲かるはずである。
 そういえば今までいろんな国で物乞いを見てきたが、サンフランシスコのような都会にはそういないだろうという予測は完全に間違っていた。街なみがまるで東京のようなのでそれを基準にしてしまっていたのだ。考えてみればこの旅で、乞食に代表される貧困のない街はなかった。逆にいえば、東京は実にきれいさっぱりした街である。僕が知らないだけかもしれないが、でもこれほど多くの物乞いは東京にはいない。汚いもの、必要ないものはどんどん排除する、というのが現代日本の哲学である。その善し悪しはともかく、日本はかなり特殊な状況ではあるだろう。
 よく言われることだが、異物を認め受け入れる、というのがアメリカの流儀のようだ。排除するのではなく、それをそれとして取り込む。そうして生まれた多様性、これこそがこの国のこの国たるゆえんで、バイタリティを生む原動力なのだろう。 
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月19日(水)
 日本の旅行会社の市内観光ツアーに参加。午前中いっぱい、主な名所を車で回る。官庁街、ツインピークス、ゴールデンゲートブリッジなど。「ダーティハリー」なんかに出てくる、坂を跳びはねながらのカーチェイスのロケ場所も。クリント・イーストウッド、カッコいいねぇ。
 この街を満たすその多くの坂には、路上駐車の車が列をなしている。その全てのタイヤが、斜めにハンドルを切られている。車が坂を滑り落ちないための工夫で、タイヤの角度までが法律で決められているそうである。なんだかこの国は、すべてがシステマティック合理にあふれていて、国家というより大きな組織といった風だ。
 ガイドの女性の話では、この街の近くにシリコンバレーがあって、ITバブルの影響でサンフランシスコも物価がどんどん上がっているそうだ。なるほどホテル代が高いわけだ。
 高台の一角に石碑がある。1860年に日本から海を渡ってきた、勝海舟率いる海臨丸を記念したものだ。当時彼らは、このとてつもなく大きな国に上陸して何を感じたのだろうか?
 昨日ツアーを申し込んだJTBの人は、ここに住んで15年だそうだ。「人の考え方がとても多様で、日本から来た人の中には、自分がどう対応していいのか分からなくて混乱してしまう人もいます」と彼女。この数日街を歩いて上っ面を眺めただけでも、他人の目や考えを気にせず自分の価値判断で動いている人の多さに驚く。ヘッドホンを頭につけて大声で歌いながら歩く人、高級ホテルの前に居座る物乞い。それを咎めもしないホテルのドアマン。そのくせ人の前をちょっと横切るだけでも「エクスキューズミー」といちいち断るのである。「俺はおまえと立場も考えも違う。でもおまえを尊重する。だからおまえも俺を尊重しろ」という言葉が聞こえてきそうだ。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:46 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月18日(火)
 100年前、つまり1906年(明治39年)の今日、サンフランシスコは大地震に見舞われた。そんなことは全く知らずこの街にやってきたのだが、今日がちょうど100周年にあたるのだった。テレビや新聞では当時を偲ぶ特集が組まれ、今日出向いたサンフランシスコ近代美術館でも、被災した当時の写真展が行われていた。
 地震は早朝5時13分に発生、48秒も揺れが続き、この街はその後三日間も火災が続いたという。マグニチュード8.3。街のほとんどが壊滅し、数十万人が家をなくした(死亡者行方不明者を示す数字は見つからなかった)。
 この悲劇から街は立ち直ったのだが、当時の日本政府が24万6千ドルの復興支援をしたそうである。この額は他の国からの援助額の総額を上回っていたそうだ。そしてちょうどまたこの年に、サンフランシスコの日系移民コミュニティ「Japantown」というのが発足した。つまりサンフランシスコのJapantownも100周年だったのである。
 ちなみにこの年から17年後の1923年、関東大震災が起こる。このときアメリカからは、日本が送った額の50倍の1200万ドルの援助があったらしい。
 ところで今日の新聞にこんな特集記事があった。広島に落とされた原爆の写真があって、その下のキャプションはこう言っている。「科学者によれば、広島の原爆は、サンフランシスコ大地震の威力よりも数百倍弱かった」。この分析が正しいのかどうかは分からないが、正しかろうがそうじゃなかろうが、これを見ていい気分はしない。まるで「原爆などは大したことなかった」といいたげに聞こえてしまう。もちろん記事にそんな意図はなかっただろう。むしろ「それほどの大災害にも我々サンフランシスコ市民は耐えて、見事に立ち直った」と伝えたかったのだろうが、読む人によってはそうは取らない。
 自分の思いを人に伝える。こんなに難しい作業はない。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月17日(月)
 出発が少し遅れたので、朝8時、サンフランシスコ着。ここが、とうとうこの旅で最後の街となる。
 ツーリストインフォメーションでホテルを紹介してもらい、チェックイン。やはり高い。一泊100USドル(12000円)。最後なので少しランクアップを、と思ってこれにしたが、中国やキルギスではもっといい部屋でも7000〜8000円だった。
 目の覚めるようないい天気。空はカリフォルニアブルー。ホテルの人によれば、ここ一カ月ほどずっと雨続きで、今日久しぶりに晴れたそうだ。サンフランシスコが伊藤キムを好天で迎えたのである。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月16日(日)
 朝9時過ぎホテルを出てバスターミナルへ。ここからロスまでは4時間。ロス行きは1時間に一本バスが出ていて、他のバス会社も合わせればかなりの数になるだろう。それほどアメリカを求める人が多いということか。
 でも、というかだからというか、国境越えはそう簡単ではなかった。まず10:30に出たバスが10分ほどで国境のゲートにさしかかると、まるで帰省ラッシュの高速道路の料金所のような混みよう。セマナサンタと関係があるのかどうかわからないが、とにかくすごい数の車が数珠つなぎ。
 乗客はいったんバスを降り、入国審査でパスポートにスタンプをもらってから再びバスに戻るのだが、ここで僕が入国カードにスタンプが押されていないことを指摘され、別のオフィスでそれを済ませてから来るように言われる。市内からバスに乗ってしまったのでわからなかったが、手続きをひとつ飛ばしていたようだ。
 だからかなり慌てた。だって乗ってきたバスを待たせることになるからだ。他の乗客は5人ほどで、みなメキシコ人と思われる。いや待ってなどくれないかも。
 入国審査にも、もうひとつの窓口も、どちらも長蛇の列。メキシコ人家族連れの人込みをかきわけへしわけ、あっちへこっちへ。
 やっとのことで手続きを済ませ、スタンプももらい、荷物もX線に通し、急いでバスを探しに外に出る。でもバスはすでにいない。というか、そもそもバスがそこで待っていたのかどうかも分からない状況。こりゃ大変だ。焦った顔をしていると、近くの係員が僕のバスチケットを見て「バスターミナルはそこだ」と教えてくれた。助かった。チケットにはもともと時間が記入されておらず、今日の日付しか書かれていない。ひょっとしたらこれで別の便にもう一度乗れるかも、という期待を抱きつつ向かう。そこは別の会社のターミナルだったが、僕のは近くにあって、やはり手持ちのチケットで次の2時発の便に乗ることができた。ここまでなんだかんだで3時間。
 メキシコ・シティから飛行機でアメリカに入らずわざわざ国境の手前で降りて陸路で越える、というややこしいことをしたのは、この国境越えにちょっとしたこだわりがあったからだ。
 メキシコ〜アメリカの国境は「国境の中の国境」という気がする。メキシコからアメリカンドリームを求めて多くの人がここを通過するから。それを形だけでも体験してみたかったのだ。
 あっけないと言えばあっけなかったが、やはり国境越えは時間がかかってややこしいものだ。ドリーム感傷に浸っているヒマなどなかった。
 午後2時に発ったバスは、5時にロス着。この街には7〜8年ほど前に公演で一度だけ来たことがある。だからすっ飛ばす。バスを降り、別の会社Greyhoundのターミナルまで10分ほど歩く。こっちのほうがメジャーで、便も多そうだから。夜11:30発、翌朝7時着の便に。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月15日(土)
 午前中、ディエゴ・リベラ壁画館。フリーダ・カーロの旦那だったディエゴ・リベラの高さ約4m×幅10mの大きな壁画。メキシコ史上の文化人、政治家、庶民や街の様子などが一度にガバッと豪快に描かれていて、とてもおもしろい。こういう感じ、僕は好きだ。ちょっと違うがブリューゲルとかボッシュとか。
 午後4時の飛行機でアメリカとの国境の街・ティファナへ、7:30着。ここからはバスで国境を越え、サンフランシスコへ。
 できれば今日のうちに出る便に乗りたかったが「シスコ直行便はない」とバスターミナルで言われ、ゆっくり一泊することにして、明日のロサンゼルス行きを買う。ティファナの中心街はなぜか薬局が多い。チリのサンチャゴもやはりそうだった。どういうことだろう? 
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2006年4月14日(金)
 メキシコ史。おなじみ「歩き方」より抜粋。
 紀元前からオルメカ文明、マヤ文明、アステカ文明などが栄え、そして16世紀にスペイン軍が来てアステカ文明を滅ぼした。その後スペイン植民地から独立。知らなかったのだが、テキサス州はもともとメキシコの土地で、1848年にアメリカに割譲した。というより脅し取られたようだ。これは当時のメキシコ領の半分だったという。しかもそこには石油、銅、ウラニウムなどが埋蔵されていることが後に判明したらしい。ちなみにジョージ・W・ブッシュはテキサスの出身。さらにちなみにイラク戦争に多くの戦力を送っているのは、アメリカとイギリス、そしてスペインである。
 午前中、テオティワカン遺跡へ。市内にある日本の旅行会社で日本語ガイド付のツアーを頼んだのだ。こういうのはこの旅で初めて。ご存じのように僕はひとり勝手にふらふらが好きなので、動きが自由に取れないツアー、しかもガイド付は今まで避けてきた。でも、ここは英語のほとんど通じない中米、一度くらいは感性でなく知識で遺跡を訪ねてみよう、と思いたった。  市内から車で1時間、アステカ人よりさらに前の民族が造った古代都市、テオティワカン。広大な敷地に神殿や宮殿跡、そして高さ40〜65mのピラミッドがふたつ。当時、この頂上に神殿があったという。わざわざこんな高いところに造ったのは、彼らがあがめてやまなかった太陽により近くに、ということらしい。段々を登っていけるのだが、角度が45度くらいあってかなり急。でも頂上はさすがに気持ちがいい。セマナサンタだからメキシコ中から観光客が集まってきていて、両手をあげて太陽の恵みを受けている人も。 ツアーは午後街に戻って終了。そのあと近代美術館へ。が、休み。近くにあったもうひとつも、休み。連休だからといって、美術館まで休むこたぁないだろがよ。ここぞ稼ぎ時という観念はないのか? 仕方なく暑い日差しのなか、家族連れでごった返す公園のベンチでボーッと。
| キム今〜世界一周編2006年4月後半 | 14:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
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