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キムは今・・・写真編 11月後半
2005年11月18日

キルギス国境

キルギス国境

2005年11月19日

待合室の子ども

待合室の子ども

ペンダントと紙風船

ペンダントと紙風船

2005年11月22日


タシケント
 チョルスーバザール

タシケント


2005年11月23日


ブハラの子ども

ブハラの子ども

パジャルカ

パジャルカ

2005年11月24日


カラーン・ミナレット

カラーン・ミナレット
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 23:59 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月30日(水)
 ここに来てあらためて感じるのは、ロシアの匂いがあること。古い街のブハラはイスラム色が濃かったが、新市街のあるタシケントは都会で、ロシア語の看板も多い。頑丈で冷たい印象のコンクリート製の建物がゴツゴツし、ガタガタと頼りなさそうなロシア製の車がウジャウジャ。
 ロシアが攻め込むまでこの街はあまり歴史の表舞台には立ってこなかったようで、そのせいもあるだろう。いずれにしてもこの国を含んだ5カ国が「中央アジア」と呼ばれているのには少し違和感がある。近郊のブハラ、サマルカンドなどイスラムの漂う場所でこそアジア的だが、特にタシケントのような都会はどう見てもヨーロッパだ。東と西を結ぶグレーゾーン、いやグレーじゃ聞こえが悪ければ、不思議ゾーンか。イスラムとロシア、なんとなく似つかわしくない取り合わせに思える。
 言葉は世界を概念を区切り、国境線は大地を区切る。でも固い肉のようにどうしても噛み切れないものは、そのままグッと飲み込むしかないのだ。


「世界が展示室〜スタンの国々」
 僕は語尾にスタンとつく国に興味があった。ロシア、中国、東南アジア、中東、ヨーロッパにアメリカ。こういった地域はニュースで名前がよく出るし、旅行先としてもポピュラーだ。だが「スタン」の国々は、12月に足を踏み入れることになるアゼルバイジャンなどコーカサス地方もそうだが、馴染みがなく、得体の知れない雰囲気が漂っている。そうか、じゃあ行って確かめてみよう、となるわけだ。調べるとスタンという言葉は「大地」を意味するらしい。アジア、ヨーロッパ、中東に囲まれ翻弄され、存在感は薄いが、なるほど大地あるところに人の生活ありで、そこには日本と同じように当り前の日常があった。


「世界が展示室〜中央アジアは美味い」
 キルギス、ウズベクで食べた料理は概しておいしかった。プロフ、ショルポは日記に書いたが、ウズベクではまずパジャルカ。肝(たぶん羊)を煮て、それにタマネギや青菜、トマトなどが付け合わせてある。この肝が抜群にうまく、別の日に同じ店に行ってみたが、肝が普通の肉に変わっていた。どっちが本当なのか?
 ウズベクのもうひとつ、料理名は忘れたが、ジャガイモを薄くスライスし、それにトマトの薄切りや肉をサンドイッチのように隣り合せて煮込んだもの。イモやトマトをはがすように食べていくのが楽しい。
 なぜだろう? 中央アジアの料理は僕の口に合う。でも脂っこいので毎日だとさすがに胃にこたえる。ブハラではこういうのばっかだったが、タシケントにたまたま見つけた「美登里」という韓国・和食の店があって、高かったがタシケントの夕食はすべてそこだった。韓国料理特有の、最初に出されるお総菜の小皿群には、ホウレン草やモヤシ、キムチ、キュウリの酢の物などがあり、夢中で箸を動かした。う〜んやっぱ、さっぱりしたものはいい。鉄火巻やうどんなんかもあって、うどんはちゃんとかつをだしの味がした。味はイマイチだったが、しばらく遠ざかっていたのでおいしく感じる。食べ過ぎて翌朝下痢になったほどだ。しかもこの旅で初めての下痢。旅に出て、和食の食べ過ぎで下痢になるヤツもそういないだろう。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:45 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月29日(火)
 7:00、タシケント着。12月1日に飛行機でこの国を出なけらばならないので、再びここに戻る。
 前回行けなかった博物館・美術館等を回る。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月28日(月)
 そんなこんなで結局今日が6日目。なぜこんなに長く? 理由はいろいろだが、まず朝食付だということ。わりと美味いし、毎晩、次の日の朝食の心配をしなくていい。また、街のどこへ行くにも10分の徒歩圏内という小じんまりさがいい。
 バックパッカーの間では、こうして一カ所にダラダラ長居するのを「沈没」というのだそうだ。数カ月沈む人もいるらしい。今回はせいぜい、船体が傾いてちょっと浸水した程度だったが。
 18:45タシケント行き列車までの時間、ネットカフェなどでつぶす。
 列車は来た時と同じ二等寝台。向い合せの二段ベッドが僕のスペースだったが、そこに大きな荷物を抱えた若者が5人ほどドヤドヤと攻め込んできた。チョコンと腰掛けた僕の回りを、わけの分からないウズベク語を投げ交わす男ばかり若者がズラリ取り囲む。僕のいちばん苦手とするパターンである。案の定「ヤポーニャ?(日本人か)」「tourist?」などと話しかけてくる。もちろんそれなりにちゃんと反応はするが、一人だけの空間を期待していたこちらとしては煩わしいだけ。これが若者でなく年配の人なら多少違うが。まぁ、二等寝台だから仕方ない。この性格はどこに行っても治らない。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月27日(日)
 例のごとく寒かったが、毎日部屋でじっとしているのも不健康なので、アルク城という城跡へ。途中にあるバザールにも寄る。小さな街だからもうほとんど見るものはない。明日の夜、タシケントに戻ることにする。ウズベクに来たならサマルカンドにも行くべきだったが、日程が中途半端になるからやめる。

| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:44 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月26日(土)
 と思ったら今日はムチャクチャ寒い。曇りだし、風もある。東京の真冬くらい。この先、季節が進めば更に寒くなる。どうしよう?
 結局外に出ず、ほとんど部屋の中で過ごす。テレビと本を取っかえ引っかえ。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:43 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月25日(金)
 それほど寒くもなく、オフシーズンで観光客も少なく、ホテルも安くて快適で(朝食付20ドル)、街は大きすぎず、車も少なく落ち着いていて、趣深い。今回の旅で初めて、穏やかな気分でゆったり過ごす。あまりに気分がいいので、ウズベクワインを買ってきて部屋で開ける。この旅初めてのワイン、意外に美味のロシアチーズで。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月24日(木)
 いやぁすごいすごい。ははぁ、ふぇ〜、ほぉ〜、うわぁなんと。ブハラの街を歩いた印象である。いやぁもうだってあなた、街がそのまま中世なんですから。タシケントは、メドレセなどイスラム建築は旧市街にしかなかったが、ここは街全体が旧市街みたいなもんで、イスラム建築がズラリだ。茶色レンガの塀が続き、青タイルの巨大なメドレセがあちこち、そしてそいったものすべての輪郭できっぱり分け隔てられた青空。もう、ため息でしか反応できない。みやげ物屋の店頭の英語表記以外はすべて、中世のままと思われる。
 カラーン・ミナレットとよばれる塔に昇る。46m。下を見おろすと足がすくむ。チンギス・ハーンは、自分を脅かしそうな実力者や罪人を、袋詰めにしてここから突き落としたそうだ。古今東西、権力誇示の最大最適の方法は人殺しだ。
 地上に降りて塔の真下、そのとき血で真っ赤に染まったであろう、今では跡形もなく静かに薄茶をにじませる石畳を、じっと見つめる。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:42 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月23日(水)
 一晩寝て8時、ブハラ着。さて、ブハラなどと聞いても日本人にはさっぱりイメージが湧かないだろう。僕もガイドブックで初めて知った。このあたりで、中央アジアに関するメモを。例のように『地球の歩き方』からの抜き書き、ご了承願う。
 中央アジアとは、大きな大きなカザフスタンの下に東からキルギス、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンがぶら下がった、5カ国から成る地域。中国とカスピ海に挟まれ、南にはイラン、アフガニスタンが隣接する。
 紀元前よりこの地域は、西からアレクサンドロス大王、東から唐、南からアラブ、北からチンギス・ハーン、そしてロシアなど、侵略に次ぐ侵略で壮絶な歴史を辿ってきたようだ。それにはシルクロードの真ん中にあるという地理的要因と、それによってここを制すれば莫大な富が得られるという背景があった。
 そういう中でこのブハラは、中央アジアの中心都市として中世には大きく繁栄したといわれている。
 以上抜き書きだが、何しろ高校の世界史日本史の時間は8割がた目を閉じた非覚醒状態にあった僕なので、間違いがあるかも。その際はどうか遠慮なくご指摘願いたい。実は西安・敦煌以降たどってきたルートはシルクロードだ。でもそういう意識はほとんどなく、人に「シルクロードを旅するんですね」といわれても「ああ、そう言われてみればそうですね」と返すくらいの、単なる歴史オンチである。
 現実に戻す。駅からタクシーで15分、ブハラ市街へ。中央アジア特有のB&B(ベッド&ブレックファスト)と呼ばれるシンプルな宿を確保。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
2005年11月22日(火)
 午前中、駅で今晩20時発のブハラ行き列車のチケットを入手、そのままタシケント市街をブラつく。
 「中央アジアの首都」という別名があるほどかなり大きな街。ビシュケクとは随分違う。ただ中国から渡ってくるとより強く感じるが、ビシュケクもここも、だんだんヨーロッパの香り漂うように。
 クカルダシュ・メドレセというモスクに入る。ちょうどイスラムのお祈りの時間帯で、並んで一緒にやってみる。回りは男性ばかり200〜300人がずらり(イスラム教では女性がモスクに入るのは許されていない)。
 まず真っすぐに立ち、顔は少し下向き、20秒くらいそのまま。次に上体をかがめ、両手を左右のひざに置き、すぐに直立に戻る。顔は正面。10秒ほどしてから、両膝、両手、額を床に着けた後、上体起こして正座。再び額を床、すぐに立って最初の姿勢に戻る。
 これを4〜5回繰り返す。5、6分だ。この間信者たちはずっと、口の中でもごもごコーランを唱えている。僕が参加したのはこれだけだが、この前後の儀式を含めるとトータル15分程度。リード役のひとりが唱えるコーランが、ガランとしたドームを照らすがごとく美しく響く。
 入口に書いてあったが、6:30、13:00、15:10、17:10、19:00の1日5回、これを繰り返すようだ。なんと信心深いこと。でもこれほど信仰心の厚い人達が、なぜバザールやタクシーで観光客をだましてボッたくるのだろう? 不思議でならない。まさかコーランに「アッラーの神のため、人を欺きなさい」と書いてはあるまいに。
 20:00、ブハラ行き夜行列車。
| キム今〜世界一周編2005年11月後半 | 15:41 | comments(0) | trackbacks(0) |
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